僕が筋トレを始めたのは、30歳ごろでした。
太っているわけではありません。
ただ、細い。
肩幅が狭いせいで頭だけがマッチ棒の先端のように大きく見えます。
見るからに頼りない体に、ずっとコンプレックスがありました。
筋トレを始めた当初、ベンチプレスは30kg。
それが少しずつ重くなり、全盛期には80kgまで上がりました。
最初の1年くらいは、やればやるほど数字が伸びました。
体つきも少しずつ変わり、昨日まで持ち上がらなかったものが、ある日突然持ち上がる。
人生の中で、努力と結果がここまで素直に結びつくことは、なかなかありません。
僕はすぐにハマりました。
当時は仕事も今ほど忙しくなく、子どもにもそこまで手がかかりませんでした。
時間も体力も、ジムにかなり配分できました。
筋肉だけでなく、人生そのものに余白がありました。
アメリカのエリートは早朝から鍛えているらしい
その後、仕事が忙しくなり、子育てにも時間を取られるようになりました。
それまで通っていた公営体育館は、1回500円。
安くて設備も十分でしたが、当然ながら利用できる時間は日中に限られています。
仕事や家庭の予定が増えると、その営業時間に自分を合わせるのが難しくなりました。
そんなころ、Yahoo!ニュースで、東洋経済かSPA!あたりが配信していた記事を読みました。
内容は、だいたいこんな感じです。
アメリカのできるビジネスパーソンは、早朝からジムで体を鍛えている。
体の見栄えもよくなければ、一流とは認めてもらえない。
僕はこれを300%で真に受けました。
早朝ジムに通えば自己肯定感も収入も上がる!(幻想)

記事を読み終えた瞬間、身長170cmの僕が、脳内では190cmになっていました。
妄想の中の僕が着るスーツは胸板ではち切れんばかり。
セクシーなヒゲも生えています。
まだジムに入会すらしていないのに、すでにニューヨークの高層ビルで数億ドルの予算を動かしていました。
そこで思いつきました。
24時間営業のジムなら、家族が起きる前に行ける。
しかも、早朝から体を鍛える自分は、アメリカのエリートビジネスパーソンみたいで格好いい。
実際には、冬の寒い朝にスレまくりのパーカーと色褪せたキャップをかぶり、チェーンが錆びたママチャリで日本の住宅街を駆け抜けていました。

それでも自分を映画で悪の手先から逃亡中のトム・クルーズだと思い込むことで、モチベーションを維持しました。
僕が実際に通っていた24時間ジムのひとつが、FIT24です。
月会費は7000円ほど。
仕事や子育てが始まる前に運動できるのは、本当に便利でした。

ただ、便利なものを手に入れると、僕はすぐに義務へ加工します。
月14回通えば、公営体育館より損をしない
公営体育館は、1回500円くらい。
24時間ジムは、月7000円ちょっと。
電卓を叩くまでもなく、月に14回くらい通えば、公営体育館より1回あたりの料金が安くなります。
月14回通えば、損をしない。
この計算を終えた瞬間、健康のための運動は、月14回の債務に変わりました。
動画配信サブスクでは元を取るために観たい映画ではなく、限られた時間内で観られる作品を選ぶようになりました。

オーディオブックも、少しでも元を取ろうと寸暇を惜しんで聴き続けるうちに耳と脳が疲れまくりました。

今日は疲れているから休もう。
そう思っても、元取りモンスターが耳元でささやきます。
「今日休んだら、今月の1回あたり単価が上がりますよ」
体調ではなく、存在しない会計指標に体を管理されるようになりました。
仕事や家庭の予定で、どうしても行けない日はあります。
すると、残された日に無理をして通います。
体を健康にするための施設なのに、通うほど日程が不健康になっていきました。
筋肉ではなく、出席簿に刺激を入れる
年齢を重ねるごとに、仕事の責任が重くなりました。
子どもも増えました。
睡眠時間も減りました。
それでも、ジムには通いました。
ただし、トレーニングの内容は少しずつ変わっていきます。
全盛期に80kgだったベンチプレスは、現在35kg。
しかも、かなり浅めです。
重量は全盛期の半分以下。
可動域は狭い。
セット数も減りました。
それでもジムに到着し、マシンに座り、何かを持ち上げれば、
「今日はジムに行った」
という実績だけは獲得できます。
筋肉への刺激は減りましたが、出席簿への刺激は十分でした。
時間には余裕があるけれど、体力にはまったく余裕がない日もあります。
そんな日は、ランニングマシンに乗ります。
時速3km。
普通に歩くより遅い速度で、10分ほど移動します。
移動しているように見えて、ほとんど同じ場所にいます。
それでも元取りモンスターは、少し満足します。
彼が欲しいのは筋肉ではありません。
来館記録です。
体力をつけるために、日常では体力を使わない
ジムに行くと、数日は疲れます。
疲れが回復したら、前より強い負荷をかけます。
すると、前より疲れます。
体力はついているはずです。
ただ、それを実感できる日は、ジムに通い始めて10年、まだ一度も訪れていません。
仕事中も眠い。
家に帰っても疲れている。
それでも翌朝のトレーニング用に、少しでも体力を残しておきたい。
その結果、仕事や家庭で重いものを運ぶ場面では、気配を殺すようになりました。
職場で大量の印刷用紙や機材を運ぶ流れが始まると、
「うっ」
と大げさな声を出し、お腹を押さえながらトイレへ向かいます。
またあるときは、急に忙しそうな顔でパソコンに向かいます。
メール画面を開き、
お世話になっております
お世話になっております
お世話になっております
と、ものすごい速さと音で入力します。
誰にも送る予定のない「お世話になっております」が、画面を埋めていきます。
それでも危険が迫ってくる場合は、エア電話に出ます。
架空の電話相手に、「はい、じんぺーです。ああ、はい、はい、お世話になってますぅー!」とやや大きめの声で会話しながらどこかへ消えます。
ジムで重いものを持つために、職場では重いものを持たない。
筋トレによって生活を便利にするはずが、生活が筋トレに支配されていました。
子どもを抱っこするときも、できるだけ椅子の上に立ってもらいます。
僕は脇の下に手を添えます。
持ち上げるというより、落下しないよう支えるだけです。
父親としての愛情はあります。
可動域が狭いだけです。
プロテインを安く買うため、夜中の3時まで計算する
筋トレを始めたころ、海外通販ならプロテイン1kgを2000円以下で買えることもありました。
ところが今では、4000円から5000円する商品も珍しくありません。
かつての価格を知っているので、普通に買うと損をした気分になります。
そこで、少しでも安い商品を探します。
僕が比較するのは、単純な1kgあたりの価格ではありません。
商品価格と、100gあたりのタンパク質含有量から、タンパク質1gあたりの単価を計算します。
この計算をしているときだけは、中指でメガネをクイッと上げる、非常に知的なキャラになった気がします。
その高度な計算で、各種通販サイトで夜中の3時までプロテインの粉を比較します。
翌朝も、一度は6時に起きます。
しかし、寝不足です。
ここで急に、理性的な自分が現れます。
寝不足でトレーニングすると、ケガをするかもしれない。
正論です。
僕は安心して二度寝します。
筋肉をつけるための粉を安く買おうとして、筋肉をつける予定そのものが消えました。
さらに、昔の安さが頭から離れないため、プロテインを飲む量自体も減らしました。
すると、疲労が回復しづらくなります。
回復しづらいので、ジムに行けません。
プロテイン代を節約した結果、月会費の1回あたり単価が上がりました。
元取りモンスター同士が、僕の体内で殴り合っています。
今は健康維持が目的です
現在は、重量を伸ばすことよりも、アラフォーの健康維持が目的だと自分に言い聞かせています。
行けない日があってもいい。
追い込めない日があってもいい。
時速3kmで歩くだけでもいい。
そう考えるようになりました。
24時間ジムは、仕事や子育てで生活時間が不規則な人にとって、本当に便利です。
僕も、朝6時から30〜40分だけ運動できる環境には助けられてきました。

大切なのは、いつでも行ける自由を、いつでも行かなければならないという義務に変換しないことです。
ただ、数か月に一度、元取りモンスターとヒョロガリコンプレックスが同時に目を覚まします。
少し重量を上げます。
翌日も行きます。
その翌日も行きます。
気づけば4日連続で通っています。
そして、ものすごく疲れます。
その後、1週間以上、ジムを見たくなくなります。
10年かけて体力をつけてきたはずなのに、僕は今も、体力をつける活動によって疲れています。
やっぱり、9割でやめておけばよかった。
ジム元取りモンスターとサブスク元取りモンスターの夢の狂宴の記録もあるので、あわせてご覧ください。


コメント